イミテーション・ゴールド

俺が通っていた、荒廃した田舎の公立中学校に、真面目を絵に描いたようなKという同級生がいた。

勤勉で素直、明るい性格の、野球少年だった。部活を引退してからは机にかじりついて勉強し、県内3番手の高校に入学した。

 

そして、すぐに留年したと風の噂で知った。


彼とは何度か話したことがあるが、何というか、会話が成り立たない奴だった。

「例えば俺が万引きをしたとして〜」というような例え話をすると、「万引きはやっちゃダメだろ!」と忠告され、そこから先の話に進まない。間違ったことが大嫌いで、グレーなことが理解できない奴だった。

当然のように接しづらいわけで、俺は特段嫌ってはいなかったが、親しくはなかった。


勤勉で、素直で、頭があまり良くない。田舎の公立中学校の教師がいかにも好きそうな生徒だった。確か生徒会の書記か何かの役職に就いたこともあったはずだ。

──話が逸れるが、生徒会役員というのは日陰者のガリ勉が内申点稼ぎでやるものだ、という価値観が、あの中学校では広く共有されていた。高校に入学して、「元生徒会長」という肩書きが肯定的な文脈で語られるのを初めて聞き、カルチャーショックを受けたのを覚えている。

Kは当時俺の中学校が集団購入していた「新研究」という問題集を何度も解き直して、県内3番手の高校に合格した。

俺はスポーツはともかく、勉強で競争することはあまり好きではなく、他人の成績や勉強量には今も昔も興味がなかった。

ところが、俺のクラスの担任が「新研究を何ページ解いたか」を紙に書いて提出させ、毎週の進捗のランキング表を掲示するという革新的な試みをしていたせいで、俺はクラスメイトがどれだけ勉強していたかを嫌でも知ることができた。俺は全く別の問題集で勉強していたために常に最低評価だったが(新研究のページ数しか実績には反映されないんだ)、Kは常に上位に名を連ねていた記憶がある。

 

そして受験が終わり、Kは県内3番手の進学校に入学したと聞いた。それっきりだ。

今思えばかなり印象的な人物だが、家の近所の橋の上で自転車に乗った彼と偶然再会する日まで、俺はKのことを思い出すことは無かった。


確か今ぐらいの季節だったと思う。俺は部活を終え、少し離れた家へとiPodで音楽を聴きながら自転車を漕いでいた。

家まであと少しのところ、橋を渡ったところで、目の前に見覚えのある人影が見えた。数年経ったが見た目があまり変わっておらず、すぐに気付いた。

Kだ。Kもこちらに気付き、笑顔になった。

 

「よう」

「おお、久しぶりだな」

「元気か」

「超元気だよ」

「高校でも野球やってんの?」

「辞めたよ。あと俺留年したんだ。」


あの時の微妙な感情は、今でも覚えている。こいつが留年?という不可解な気持ちが脳のほとんどを占めていたが、頭の片隅で、どこか納得していた。

衝撃が大きかったからか、内容が取るに足らないものだったからなのか、その後の会話は覚えていない。

それに、当時は留年した友人を目の前にして、かけるべき言葉が分からなかったな。医学部を卒業した今なら、少しは慣れたのかもしれない。いや、今でも正解は分からないな。


勉強の出来から想像つかないほど思考力に欠ける人がいる、というようなツイートを見て、Kのことを思い出した。

あの中学校で、あの性格でいながら、いじめられていなかったんだよな。気の合う奴じゃなかったが、悪い奴じゃなかった。

これの類型は医学部にも少なからずいるが、医学部の勉強ではメッキは剥がれない。医者は能力で給与や職場が変わらない特殊な世界だ。アルキメデスに風呂桶に叩き込まれる日は来ない。